2015年の幕開けにあたって

投稿日:2015年1月7日

あけまして おめでとうございます。2015年が明けました。昨年末の総選挙が遠い昔のように思い、時間のスピードが速く感じられるのは、年のせいでしょうか。しかし、どうもそれだけでないようです。
選挙期間中に、連日取り上げられていたアベノミクスや消費税、集団的自衛権といった用語が、年末年始のマスコミ(主としてテレビ)から完全に消えてしまったことの方が影響が大きいのではないでしょうか。
何が言いたいのかといいますと、私たちは、毎日自分の意志で考え、行動しているように思っていても、マスコミが取り上げなくなった出来事には関心が薄れ、マスコミが報道した事柄には、注目し、関心を寄せ、そのこと(マスコミに取り上げられていること)が今最も社会の中で重要であると考える思考回路が、身に付いてしまっているのではないかということです。
大晦日は、紅白歌合戦に見入り、正月はお笑い番組や、箱根駅伝、スポーツ番組に熱中し、政治的関心は薄れています。日本中が、ワンパターンに動いているのです。
日本の経済再生や消費税、安全保障、拉致問題、エネルギー問題、領土問題、集団的自衛権、震災復興、少子化問題、年金・介護問題等々、日本国民が片時も忘れてはならない問題は山積していますが、マスコミの扱い方如何によって、国民の関心も、世論も揺れ動いているという現状を、私たちは厳しく認識しなければなりません。

なぜこのようなことを書いたのかというと、いじめや体罰、不登校、発達障害、進路等といった教育問題についても、マスコミの学校現場に及ぼす影響が非常に大きいと感じることが多々あるからです。
上記のような教育問題は、絶えることなく日常的に起こっています。マスコミの報道の有無とは関係がありません。しかし、国民の注目度によって、教育施策が左右され、何かの事件でどこかの県で、「いじめに関する第三者調査委員会」が作られると、同じような委員会が全国各地で次々と作られていきます。しかし、いつのまにかマスコミが取り上げなくなると、その存在もまた忘れられていきます。
こどもたちの輝かしい未来を創造するために、マスコミや大人の都合に左右されない教育理念に基づいた、「教育のための社会」の在り方を求めながら、教育領域の心理士として努めたいと、改めて年頭の決意をいたしました。

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