時代の移り変わりによる教師と保護者・こどもの関係の変化

投稿日:2014年11月1日

昭和から平成へ 学校が変わった

昭和50年代前半頃の学校・・・事件もあったけど、先生への信頼が寄せられていた

 昭和50年、私が中学校の教師となった頃は、校内暴力の嵐が全国に吹いていました。
授業エスケープや対教師暴力、校内をバイクが暴走する光景も不思議ではありませんでした。それでも子どもたちには、女性教師には手を出さない仁義や正義に屈服すれば素直に従う潔さもありました。教師が止む無く子どもに力を行使した場面でも、感情を押し殺して、教師の立場を理解しようと努める親もありました。
 若い教師が、未熟な故に、子どもに感情的な指導をしたり、連絡を忘れて迷惑をかけたような場合でも、若さ故のこと、失敗を責めるのではなく、親が子どもとともに先生も育てよう、そんな大らかさがありました。
 振り返ってみると、赤面するばかりの教員生活のスタートでしたが、中学の1年生の担任から2・3年生の担任を経験するうちに、教師としての自信を徐々に持ち始めていたようです。生徒や保護者とぶつかることもありましたが、最終的には先生への信頼が寄せられていました。教師を育てる土壌が、社会にも学校にもあったように思います。
 世の中は、高度経済成長の中、教員の資質向上のための「人材確保法」の制定(S49年)がなされた時代です。

昭和50年代後半~平成10年頃の学校・・・価値観の多様性による教育への期待と失望

 その後、教育は、量的質的拡大、高校・大学への進学率の向上の一途をたどり、学習塾の広がり、詰め込み主義、知識偏重と言った新たな様相や課題が出てきました。塾と学校のダブルスクールの生活による子どもたちの疲弊を心配する保護者からは、有名難関大学への進学に特化した教育内容を標榜する私立高校への進学熱が高まりました。東京では、明らかな私高公低の現象が起きました。
 「7・5・3」とは、それぞれ小学校・中学校・高校で教育内容を理解できている割合であると言われています。いわゆる「落ちこぼれ」という言葉が、広がりました。そして、教育は、人生で必要なすべての知識や技能を教え込むことではなく、生涯にわたる自己教育力を培うという生涯学習の理念が生まれました。
 学校生活では、いじめや不登校、学校不適応と、新たな課題が噴出しました。慢性的な不景気により、公務員である教師にも、給与や勤務状態に対して、市民からの厳しい眼にさらされる事も多くあります。サラリーマン化した教師への厳しい注文もありました。
 熱血先生や金八先生に人気が高まったのは、児童生徒、保護者、教師自身の教育の理想を求める願望の結果であったのかも知れません。
 理想と現実にズレが生じ、期待が叶わないと失望となり、時には憎悪に発展することもあります。価値観の多様性から、学校への期待と失望が渦巻きました。学校や教師と保護者や児童生徒の間に、かすかな解離が生まれてきた時代かも知れません。

平成10年頃からの学校・・・こども・保護者、教師もそれぞれの役割に精一杯の状況
 
 詰め込み主義と言われた学校教育では、肥大化した学習内容を是正するために学習内容の3割削減となる「ゆとり教育」の出現となりました。ここでその是非を述べることは控えますが、現場にはどのような変化が生じたのでしょうか。
 ゆとり教育は、各教科の授業時数の削減に伴い、総合的な学習の時間や選択教科の時間が増大しました。幼児教育においても、好きなことをやらせることで、自己効力感や意欲を引き出し伸ばすことが主流となりました。食物アレルギーの問題もあり、給食においても嫌いなものは食べない選択も許されました。
 ゆとり教育の結果かどうかは不明ですが、やがて分数のできない大学生の存在や、OECDの学力テストに於ける順位の低下等、日本の子どもたちの学力低下がマスコミに取り上げられました。ゆとり教育は、わずか5年で一部改定され、次回の学習指導要領の改訂では振り子が大きく戻されました。
 現場は、翻弄された感は拭えませんでした。理科教育や英語教育に先鋭化された学校が作られたり、中高一貫校、飛び級等、エリートの養成に予算が割り当てられました。経済格差のみならず教育格差が生まれています。
 長い経済不況は、行政における教育予算の削減や家庭における教育費の低下により、こどもの教育環境の劣化をもたらせています。それは子どもたちの心にも影響を及ぼし、いじめや不登校、学校不適応の問題が増加しています。先生方は、自閉症や学習障害、ADHD等の発達障害の対応にも苦心し、様々な課題の重層化に、見通しの開けない大きな不安に陥っています。
 地域や保護者からの多様な価値感に基づく、様々な要望や期待、要求は、時には学校や教師の対応力の限界を超え、プレッシャーとなる場合もあります。
 自信や自己効力感を失った教師が、精神的な疾患に陥るケースも増えています。
 各学校は、全てのこどもや保護者の期待に応えることは不可能な状況になっています。むしろ、それぞれの学校が特色化を図って、それに期待するこどもや保護者への教育を実施することが現実的です。それを可能にするためには、制度としての学校選択制が必要です。東京都をはじめ、義務教育段階でも学校選択制を導入する自治体が増えています。ただ、制度を導入すれば終わりではありません。通学の安全性や経済性への配慮がなければ、教育格差の増大にしかなりません。きめ細やかな制度設計を期待したいと思います。
 信頼関のベースの上に、こどもや保護者のニーズと学校が提供できる教育内容や教育技術が一致することにより、教育効果も期待できるのではないでしょうか。そのセッティングがなされないままに、従来通りの学校教育が行われているところに、今日の教育問題の元凶があるように思います。

 その不一致により、こどもたちは、学校不適応を起こし、教師はストレスフルな状況に追い込まれ、保護者は過度な期待や要求をぶつけるといった問題が多発しています。本来、支え合い励まし合い高め合わなければならない関係が、それぞれの役割を担うことに精一杯で余裕のなさが表れています。改めて、学校、地域、家庭の関係強化が期されているのではないでしょうか。
 

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