前回、コロナウィルス対策におけるOne Team の取り組みの必要性について述べさせていただきました。特に、集団感染を予防するための、密室での不特定多数の濃厚接触の制限については、学校の臨時休校措置も含め、意識的な自粛、それを支える環境整備、意識啓蒙も含め、国民の理解と協力が不可欠であると思います。
感染予防の対策を政争の具としてはならないと申し上げるのもその意味です。マスコミの報道姿勢も、十分に検証されなくてはなりません。権力や巨大なものに立ち向かう姿勢は、「ペン」の役割や使命感を表しているのかも知れません。判官びいきや忠臣蔵を好む私たち庶民は、強者に挑む姿に感動し、喝さいを送る傾向があります。その為、安易なポピュリズムに陥っている報道も散見します。
世間に流布している「ペンは、剣よりも強し」という言葉は、「ペンが暴力に勝る」と理解されていますが、本来は「どのような抵抗勢力をも統治者の一枚の法文で潰せる」という意味(鷲田誠一氏 趣意)だったようです。そして氏は、その意味で、マスコミは自身の立場を、厳しく戒めなければならないということにも言及されているとお聞きした。正に、コロナ感染に関する今回のマスコミによる様々なミスリードは、今後厳しく検証されなければならないと思います。
人々は、不安で先が見えない状況に晒されると、どのように行動をすればよいのか判断ができなくなります。そうすると周りの様子を見て、多くの他者の行動に強く影響を受けます。マスクや、トイレットぺーパーの買いだめ行動はその典型です。このように、他者の行動に自身を合わせようとするのが同調行動です。
One Teamというと、日本人は、歩調を合わせたり、掛け声を揃えたりと、周囲との同調行動をイメージされるかも知れません。昨年の、ラグビーのワールドカップでの日本チームのスローガンが、One Team だったのですが、決して同調行動ではなかったことが分かります。むしろ、私もテレビで試合を観戦していましたが、ボールを持った人が、すぐに捕まるだろうと思えるような場面で、相手陣営に突っ込んでいく場面を多く見ました。もっとボールを回したらどうか、と素人目からも見ていました。試合が終わったインタビューの場面でも、決して笑顔を見せない人や、少しの言葉に感涙する人、明るく応じる人等、むしろ個性溢れる人ばかりの集団の様に思えました。
One Team とは、没個性ではありません。むしろ個性の塊のような人が、それぞれにその個性を思い存分に発揮し、それがトータルとして統制が取れているということではないでしょうか。
今回のコロナ対策についても、効果を徹底させるためには、行動を自粛したり換気を徹底するなど、お互いに努力をしなければなりません。
しかし、どのような方法が本当に有効なのかどうかは不明です。科学的でない、根拠のないデマには騙されてはなりませんが、専門家や、医療関係者、関係者が、根拠や経験知から様々な知見を披露することには、積極的であって欲しいと思います。そして、それを公開の場で論議し、吟味して頂きたいと思います。
つまりOne Team とは,ただ足並みを揃えることではなく、同じ目標に向かって一人ひとりが最大限にその個性を発揮し、そして、その力を集約することではないでしょうか。
政治家もマスコミも、感染終息のために、私たちが One Team になれますようにその役割を真摯に果たして頂きたいと思います。
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