コロナ感染が止まりません。学校を閉鎖しても、子どもたちが期待通りに行動しないのは当たり前です。だからといって、臨時休校は時期尚早と批判しても、事態が収束する訳ではありません。子どもたちの行動に節度をもたせ、何のための休校かを理解させることが、保護者や学校教員の役割ではないでしょうか。
教育の専門家である小中高の学校の先生方の力こそ今必要なんです。放っておけば子どもたちの行動は易きに流れることは十分予想されます。しかし、子どもたちが、臨時休校の時間の意味を理解し、その時間を自主的主体的に過ごすことが、自分自身の成長にとっても大切であります。
そのような行動がとれれば、子どもといえども、社会の一員として、この重大な局面においてその役割を果たし、誰もが願っているウィルスの脅威の軽減に寄与できるということをきちんと教えていかねばなりません。それを実践できるのは先生方のお力です。
学童保育の場で、語り伝えることもできるでしょう。私が主張する「学校開放」の場で教えて頂くことも構いません。その他、メールやインターネット等の活用方法も在るかもしれません。知恵をお貸しください。
話は変わりますが、20数年前、阪神淡路大震災の折、私は神戸の被災地の中心に位置した中学校に勤務していました。学校の在籍生徒の中にもが亡くなった生徒がありました、また多くの御家族が亡くなったり負傷されていました。校区内の8割に及ぶ家屋が半壊半焼以上の被害を受けたと聞いています。
学校は、震災直後から1カ月近く休校となりました。校舎は、被災された地域の方の避難所として使用されました。教員は、校区を歩き生徒や保護者の安否確認を第1とし、時間を見つけては、職員室の片づけや書類整理に当たりました。
一方、学校は避難所となりましたので、住民の方の生活支援にも携わりました。幸い、避難者の中から迅速に自治的組織を立ち上げ、やがて避難所運営の中心はその方々に委ねることができました。
ほぼ1か月間は、本来の教員の職務ではないことにも携わりましたが、何よりも地域の住民(勿論子供たちも含まれます)の方々の、安全安心な生活を守ることが第1義の役割だったと思っています。
未曽有の困難な状況の中、一方的に他者批判をしたり、第3者の如くにコメントを披露しているパラサイトのような批評家や一部マスコミに惑わされてはなりません。高みから高説を述べる位なら、街角に立ち、臨時休校の意味も理解せず不要不急の外出をしている子どもたちが居れば、帰宅を促すくらいのことはやればどうだろうか。
厳しい現場に入り、直接患者の救済に取り組んでいただいている医師や看護師、関係者の皆様には本当に頭が下がります。少なくとも私たちはそのような人々と同じ想いに立って、日本国がONE TEAMになって、この困難な状況を乗り越えて行きたいと願います。
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