不登校やいじめ、自傷行為等、子どもたちの世界で起こっていることに、もっと危機感と切迫感をもって臨まないと、国が滅んでしまうかも知れません。
子どもたちは、無邪気で明るく、エネルギッシュです。休み時間の校庭を見ていると、多くの子どもが、右へ左へと走り回っています。動きが止められないといったパワーに溢れています。
本来の子どもの姿なんだと思います。
しかし、一方で、学校に来れない、友達と交われない、人の目が怖いと訴える子どもが増えています。本来備えているエネルギーが、封印されているのです。
そこには、2つのタイプの子が存在するということではありません。
ある日突然に、変化するのです。突然に、学校に行きたくないと訴えてきます。もしかしたら予兆はあったのかも知れませんが、全く気付きませんでした。
それも仕方ありません。きっかけは、身近な友人の変化であったり、心無い中傷の言葉であったり、自分の失敗であったり、体調の変化がもたらしたものかも知れません。
ただ、共通することは、メンタルの脆弱性です。しかし、これは家庭教育や本人の特性を責めているのではありません。
敢て言えば、大人の影響、社会の影響を、何の抵抗力を持たない子どもが、もろに受けている結果だと思えるのです。
子どもだけが脆弱になったのではなく、大人や社会の脆弱性が、子どもに反映している、そのように感じます。
大人の脆弱性の要因は何か?
様々な要因があると思いますが、私は、大人や社会に広がる不安だと考えています。
コロナへの不安、それに伴う健康や死に対する恐れ。コロナを機に襲った経営危機や人手不足等からの経済不安。異常気象や、自然災害への慢性的不安。少子化、高齢化による将来不安。
大国のナショナリズムに伴う、経済格差、貧困、差別、利害対立による政情不安。戦火の絶えない国際情勢。
不安は、不安を生み、醸成する。宗教家も、高学歴者も、道徳的な人々さえも、思考のバランスを崩し、思想の根幹を揺るがし、這っていた根さえも枯らしてしまう。根を失った、根無し草は、水に風に流されて、吹かれて、ただ右往左往と彷徨うばかり。
世界各国で起きている、ナショナリズムやポピュリズムに支配された政治状況も、この根無し草となった人々の彷徨っている姿ではないだろうか。
私たちは、今一度、冷静に、そして誠実に、
命ほど大切なものはない、
地球を未来の子どもたちの為に守る、
その為、世界平和を断固として守り抜く、
という普遍の人類の価値に立ち返って、
子どもたちに範を示さなくてはならない。
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