「ひきこもり」・・・呼び名を変えませんか?ネスティング

投稿日:2021年1月11日

昨年、3月29日付、日経新聞に以下のような記事が載せられた。

内閣府は29日、自宅に半年以上閉じこもっている『ひきこもり』の40~64歳が、全国で推計61万3千人いるとの調査結果を発表した。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は7年以上が半数を占めた。15~39歳の推計54万1千人を上回り、ひきこもりの高齢化、長期化が鮮明になった。中高年層を対象にしたひきこもりの調査は初めて。

上記の記事によれば、全国で「ひきこもっている」と思われる人は、100万人を超えることになる。続けて、

内閣府はひきこもりを、自室や家からほとんど出ない状態に加え、趣味の用事や近所のコンビニ以外に外出しない状態が6カ月以上続く場合と定義専業主婦・主夫は過去の同種調査では含めなかったが、今回は家族以外との接触が少ない人はひきこもりに含めた。(赤字は吉田)

専業主婦・主夫も「ひきこもり」に含めるなど、定義が広がったことが、数値を上げたことにもなるが、決して少ない数ではない。と同時に、生計を父母や配偶者、生活保護に委ねるケースも多く、将来不安が大きいと言える。

8050問題とも言われる、支える父母の高齢化、ひきこもっている本人の高齢・長期化が、問題を先送りできない状況を示している。

そのような中でも、参考にすべき取り組みを始めている地域も見られる。「彼らを支援するというのではなく、彼らの力を地域の活性化に活かしたい。」と言って、彼らに、地域に支援の手を差し伸べてくださいとの呼びかけを行うのである。そのような活動を通して、徐々に自立する人々が増えてきたという報告である。

不登校の子どもたちも同じであるが、彼らは、意欲も、気力も、体力も無いわけではない。むしろ、学校に行っていない分、生き方や自分自身について、同年代の児童生徒、学生に比べても、深く真剣に考えているケースが多い。そして、何ができるかも模索している。

彼らが、社会の中で、仲間と共に生きていく可能性は溢れている。ただ、その「きっかけ」が無いのだ。

その大きな要因に、私は「ひきこもり」という言葉が良くないのではないかと思ってきた。

外に出れない、出てはならないような響きがないだろうか。

そして、外に居る私たちが、彼らを助けるのではなく、手を携えて共に働こうと考えることが重要ではないだろうか。

コロナになって、stay-home という言葉が、広く知られるようになって、「ひきこもり」に対して、何か新しい呼び方もあるのではないかと思い、考えて見た。

「ネスティング」=巣ごもり という意味ではあるが、

Goo 辞書では、次のような意味を含めている。

ネスティングとは、

外で遊び回らず、自分の部屋を居心地よく演出することを重視するライフスタイル。インテリアに凝ったり、自分の趣味に合う食器や家具をそろえて恋人や親しい友人を招き、食事やゲームを楽しんだりする。

とある。

「恋人や友人を招き」ということは、現時点では当てはまらないかもしれないが、その他は、彼らの選択した生き方に通づるものがあるように思える。

 家庭外の社会との接点さえ見つければ、共動できる可能性を秘めている彼らを「ひきこもり」と、接点を閉ざすのではなく、「ネスティング」と呼称して、関係性を積極的に築くことが必要ではないか。

そして、彼らを支え、そして協働(共動)する、システムの構築が急務である。それを、

ネスティング(の)suport and  co-work =「ネスティング支援と共動」 と呼称したい。

(敢えて「働」ではなく、「動」としている)

皆さん、「ひきこもり」を「ネスティング」と今日から、表しませんか。

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