情報社会から情動社会へ  

投稿日:2024年9月15日

物や製品の売買から、物や人に付随する情報に価値を見出し、それが売買される時代となり、情報社会と呼ばれ、1960年代頃からだと言われています。この頃、テレビやラジオ等のマスコミを通して、大量の情報が広範囲に伝えることが可能となりました。そして、      1990年代になると、インターネットや携帯電話が普及し、一層情報化社会が進展したのです。

 

更に、スマホが普及するにつれ、2010年代には、情動社会と呼ばれる社会現象が急速に広がりました。これまで、情報の発信元は、一部のマスメディアであったものが、SNSにより、個人での発信が可能となったからです。

情報の発信が簡易になった故、真偽が分からない情報も大量に流すことも可能となりました。コロナ期の「コロナの発祥は隣国。そして、その拡散は隣国の陰謀」といった、デマが拡がりました。

そして、現在ではアテンションエコノミーと言われる状況が到来し、面白いこと、奇抜なこと、人々の関心を集める事だけの情報が、真偽も分からぬままに、拡散しています。

先の2024東京都知事選では、特定候補の街頭演説が、その政治的支援というよりも、それを放映することで視聴数を稼ぐと言った意図で、次々と広がっていきました。結果、その候補の得票数は飛躍的に伸び、一大ブームとなりました。

視聴者数稼ぎのために、回転寿司屋さんで、自由にとれる生姜に、自分の箸を着けて戻すなどの悪質な動画も拡散しました。また、騒ぎを起こして緊急車両を呼びつけ、隠し撮りをして流して拡散する等、非常識な行動が問題となりました。

情動社会では、情報の価値は、真偽に基づくものではなく、好きか嫌いか、面白いか面白くないか、注目を集めるか無視されるかになっています。

真偽に拘わらず、面白いと思ったことを垂れ流す社会。その影響を顧みることなく、人々の善意や、社会の正義を踏みにじることを悪いと気付かない社会。

   暗黒の様な社会に、今我々は引き込まれているのではないでしょうか。

 

人権を侵害する情報でも、すぐに削除することは難しく、被害者は泣き寝入りです。悪意を持った情報も垂れ流しです。殺人にもつながるような闇バイトの募集ですらネットで可能なのです。こんなこと、おかしくないですか?

取り締まるための法律を早急に作らねばなりません。その法律を作るのは、国会であり、政治家です。その政治家を選ぶのが、選挙です。

 

その選挙において、先の都議選では、視聴数稼ぎの拡散が横行しました。また、選挙ポスターの掲示板が、お金で売買され乗っ取られました。それを主導したのは、国会に議席を持つ公党です。規則が無いことを悪用した、民主主義への悪しき挑戦だと思いました。

民主主義の根幹である選挙にまで浸透してきている情動社会の怖さに気付かねばなりません。

このような社会に生きる子どもたちには、情報リテラシーだけではなく、真偽を見分ける判断力、そして正義を守り、人道を守る人権教育や道徳教育の重要性を改めて感じています。

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