「キレる」にどう対応するのか

投稿日:2014年12月9日

学校で友だちに暴力を振るったり、先生に暴言・暴力に及んだり、家庭で親や兄弟を傷つける等の事件が後を断ちません。
普段から耐性が無く、イライラしたり、苦虫を噛み潰した顔をしている子どもばかりでなく、「あの子が?」と言われるような大人しい良い子が、「キレる」事件を起こすケースも稀ではありません。
良い子が事件を起こすと、ストレスを限界まで溜め込んで追い詰められていたのではないか。親の過度の期待があったのではないか。両親の不仲ではないか。いじめがあったのでは?と、その子どもの周辺の事情を踏まえて忖度されます。
キレる子どもの状況を知ることは必要です。ストレスが溜まっているのであれば、軽減させる配慮も要るでしょう。しかし、キレルという言葉で暴言や暴力が容認されることがあってはなりません。
そもそも、キレるという言葉が、一般化されるにつれてキレるという状態が感情の表現の一つとして、容認されてきた感が強くあります。つまり本来は理性で抑えなくてはならない自身の感情を、「キレた!」と言って、相手に理不尽にぶつけているのです。
いじめのターゲットとなった子どもが、耐えられなくなって遂に「キレて」相手を傷つけるケースはほとんどありません。むしろ、いじめている子どもがだんだんと思い通りにならなくなったターゲットに、「キレて」更なるいじめを増加させるケースの方が圧倒的に多いように思います。
「キレる」ことが、感情のコントロールができないことの言い訳になっているのです。感情の発露や起伏は、人間の心身の機能面の働きで、元来コントロールの効きにくいものかもしれません。しかし、感情の表現は、文化的要素の高いものだと考えます。泣き方や笑い方、喜び方等、国や家族や社会集団の間で大変共通点が大きいことで理解されるでしょう。「キレる」という感情の表出方法には、多分に文化的要素があります。「キレる」という言葉の流行と同時に「キレた」姿が、漫画やドラマの映像、マスコミの報道映像で繰り返し流されたことに大きな影響を受けています。
私は、「キレる」という言葉と「キレた」姿の流出を制限することが重要だと思います。そして、「キレる」ことは、理性的であらねばならない人間にとって、最も悲しい姿であることを子どもたちに徹底して教えなければならないと考えています。

この記事へのコメント(0

まだ書き込みはありません

コメントを残す