「(いじめで)命の危険を感じるぐらいなら学校に行かなくてよい」と発言したのは、前文科次官の前川氏だ。ネット情報で、その趣旨が十分に読み取れないので、その評価は避けたいが、以前「室長ブログ」で「いじめにあっている子へ」で考えを述べていたので、感想だけ記したい。
「学校に行かなくても良い」という提案は、私も同じである。私は、緊急避難措置として学校に行かない選択が必要であると思っている。しかし、子どもにとっては、学校は人生の一部である。逃げ出すことと、そこを捨てることは同じではない。人間関係が崩れ、学校に行けなくなったとしても、その状況が変われば戻りたいと思っている。転校や退学は最終の選択だ。
法律が変わり、フリースクールの選択も可能になったが、高額の経費に関しては解消されていない。フリースクールに通うのは、一般家庭には大きな経済的負担である。安易に「フリースクールもあるよ」とは、言えない状況である。また、逃げ出したくなる状態であったなら、学習に集中できる状況になかったことは明白である。当然、成績は低下し、学習意欲も喪失している。ただ環境を変えれば良いという話ではない。
事実、何らかの理由で不登校になり、環境を変えるために転校する生徒は多くいる。その後にどうなったかの追跡調査の結果は持ち合わせていないが、根本的解決になった例は極めて少ないのではないかというのが現場感覚だ。前籍校で受けたつらい体験は、トラウマとして残っている。こじれた人間関係によって、人との関わりに自信を喪失し、消極的になっている。遅れた学習のため、授業が分からない。未知の環境に踏み込む不安もある。サポートしてくれる友が見つかるだろうかとも悩む。転校して(或は、学校を退学して)環境を変化することで解決する課題ではないからだ。
学校教育の中枢のトップであった方が「学校に行かなくてよい」との発言は、インパクトがあり、話題性は高く、注目される。しかし、安易に「フリースクール」等の代案を示しているだけなら、本当に現場感覚に欠如した方だなとの感想を禁じ得ない。
例え、いじめが原因であっても、こどもが「自分の」学校に行けないことの辛さへの共感を感じられないからである。子どもたちは、学校が「義務である」と思って通っている訳ではない。義務ではないと知ったからといって、学校に行かないと思う訳でもない。
知らないことを学び、不思議なことを考え、友と共に話し、笑い、泣き、時にはけんかをしても学校が楽しいから行くのである。先生から教えてもらい、褒められ、励まされて、自身の努力が認められ、成長を自覚し、行き甲斐を感じているのである。それが、理不尽ないじめによって行けなくなった時、「学校に行かないでよい」と言われたからといって、救われるのではない。
前文部次官が言った言葉だから注目されるのであって、それが真の救いの言葉ではない。否、学校現場で、いじめを撲滅しようと必死に取り組んでおられる先生方をも失望されるほど無神経で安直な提案である。このような考え方の方が、こども、保護者、教師、社会、未来を見据えてトータルに教育を考えなくてはならない文部行政をリードしていたのかと思うと、残念である。
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