前回は、不登校のタイプ分けを行い、それぞれへの対応に違いがあることを述べましたが、教師の立場からの分析だったと思います。
今回は、我が子が学校に行けなくなった場面に直面した親の立場で考えます。
学校に行くのが当たり前。我が子が、学校に行きたくないと言い出すまで、誰もが疑いもなくそう思っていました。宿題が出来ていなくても、忘れ物をしていても、寝坊して遅刻しても、朝、喧噪の中で子どもは飛び出して行きました。
不登校には前兆がありました。学校から帰るとぐったりとしていた。給食を残したり、体育の授業を見学したり、友だちと遊びに出なくもなりました。その内、朝になると、頭痛や腹痛が起き、「しんどい?」と聞いて欲しそうな素振りです。
どうしても起き上がれなく、休みなさいというとホッとした表情です。昼が過ぎると元気になり、夕方には明日は行けそうと自分から言います。しかし、翌朝又、頭痛と腹痛です。
どうも変だと思い、担任の先生に連絡すると、「朝、迎えに行きましょう」と、応じてくださり、翌朝、約束通り来て下さいました。折角、先生が来てくれたからと言うと、ぐずぐずしながらも着替えをして、一緒に出かけました。数日は、応じていた子どもも、やっぱり続きません。その内、布団からでなくなり、待って頂く先生に悪いので、後から行かせますとお断りして学校に戻って頂くが、子どもは結局休んでしまう。
男の子なら、先生が布団をはがして強引に連れて行くこともあるが、2・3日続くと、布団から出て、トイレの中に逃げ込んだり、ベランダの外に隠れた子どももいる。そうなると、本人の行く意志がないと、誰も連れ出せない。不登校が、本格的に始まった。
あたりまえのことが、当たり前でなくなった時の、親の衝撃は大きい。周りをみても当たり前に、誰もが学校に向かっているのを見ると尚更辛い。親の葛藤が始まる。
子どもの不登校に直面した親の葛藤過程がある。それぞれの過程の長短は見られるが、同じような過程を歩んでいることに注目したい。それが、葛藤からの離脱のヒントになると考えるからである。
第1期 原因追求期
不登校の子どもを前に、何とか学校に向かわせたいと強く働きかける時期である。そのためには、何故行かなくなったのか理由を考える。真っ先に浮かべるのは、いじめ?クラスが問題?担任?部活?友だち関係?勉強?・・・子どもに聞き出し、友だちに尋ね、先生に尋ねる、必死になって原因追及をする過程である。
この時期は、子どもの様子を見て落胆し、原因を求めても何も掴めず、見通しが全く立たなく、未経験のできごとの連続で、心身共に衰弱するため、「疲弊期」とも名付けられる。
第2期 自省期
不登校の原因が特定できないまま、数週間・数ヶ月と時が経過する。何故、自分の子どもだけ学校に行けないのだろう?育て方を間違ったのか?何故困難に打ち勝つエネルギーを出さないのだろうか?愛情が足りないのか?甘やかせ過ぎたのか?我慢させてこなかったのか?親として失格なのか?
子どもを追い詰めているという罪悪感や、救ってやれないとういう無力感から、自分自身を責め始める自省期の過程である。自分を責め続けたり、手立てが見つけられない虚無感から、「自虐期」「無力期」とも呼ばれる。
第3期 混乱期
原因や、改善への手立てを模索していく過程で、不登校が我が子だけに起きている現象で無いことに気付く時期である。
社会問題として取り上げられ、学校教育の大きな課題であることを知る。そうすると、不登校は個人の問題ではなく、教育制度に関わる政治課題であり、学校・学級経営に関わる
教員資質の問題、いじめに象徴される人間関係や道徳問題、落ちこぼれなどの教育内容、閉鎖的な教育行政の問題に依拠するものでもある。
自責の念からは解放されても、不登校の現状は変わらず、社会問題に拡大しても、責を問うには漠然としていて、結局は、却って親の混乱を増加させている過程と言えよう。
第4期 容認期
子どもの不登校が、次第に日常化し、家庭内でも一定の安定感が生まれる時期である。あくせくしても仕方がないと思い、こんな時期も子どもにとって何か意味あることだと受け止め始める。休息や思索が必要であった時期だと、子どもの落ち着いた日常生活の中で見いだすこともある。不登校を始めた頃の子ども表情とは打って変わった安定した時期でもある。不登校を意味あるものとして考え、容認する過程である。
子どもにとっては、不安や不快な身体症状も緩和し、少しずつ興味の範囲も拡大していく「充電期」とも言えよう。
第5期 啐啄(そったく)期
充電期を経過した子どもは、いよいよ登校への準備を始める。それが、上級学校への進学期や学年当初に多く見られる。子どもは、制服を整えたり、起床時間を早めたり、机の整理や学用品の準備をし始める。
この時期を焦ってはならない。機の熟すことを待つのである。正しく、「啐啄同時」(そったくどうじ)のタイミングである。
子どもからの提案を、じっくりと待つことである。必ず、機が熟せばサインがある。そのサインを合図に、登校を促してみる。子を愛する親ならば必ず気付くタイミングである。それ故、この時期が啐啄過程である。
多くの不登校生やその保護者の方と必死になって取り組んできた不登校問題。我が子のケースも含めて、多くの親がたどってきた過程である。日の昇らぬ夜が無いように、必ず暁光の時がやって来ることを信じて、お子さんに向かってあげてください。
今、子どもの不登校の直面している保護者の皆さん。この、親の葛藤過程参考にして、冷静にその時期を知り、お子様に対応してあげてください。
【追記】この本文の「親の葛藤過程」について、論文等の公開文章に引用される時は、一報下されるようお願いいたします。
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