不登校生を支える  多様な選択肢から

投稿日:2019年12月14日

【不登校のこどもと家族】

学校だけが全てではない。学校に行かないという選択肢も可能である。文科省も学校外の機関への通学も認める(「多様な教育機会の確保」)通知を出した。(「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日)

 

子どもが「学校に行きたくない」と言い出した時の親の衝撃は計り知れない。子どもに何が起きたのか分からないからである。子どもが傷つき、悩み、苦しんでいるのではないかと思えば、胸の張り裂ける思いであろう。やがて、育て方を間違ったのではないか、しつけが悪かったのか、構ってやれなかったからではないか等、次々と自分を責める気持ちも出てくる。近所にはどう思われるか、両親(祖父母)にはどう知らせよう、会社にも知らせておくべきか、周囲の目がプレッシャ-となってくる。本人と同様に、或いは本人以上に家族が苦しみの淵に陥ってしまう。不登校となってしまった子どものいる家庭の一般的な状況である。

家では、家族と話したり、テレビを見たり、食事をし、風呂に入り、夜になれば眠りについていれば、不安も軽減する。しかしやがて、部屋に閉じこもり、食事も一人で取り、ゲームやスマホに没頭し、風呂に入るのも面倒がり、昼夜逆転の生活となると、家中が深刻な事態となってしまう。不登校の子どもは、ますます元気を失い、学校は遠い存在となってしまう。

 

【不登校は、学校に居場所がないこと】

学校に行くのが辛くなるのは、学校に「居場所がない」ということが大きい。

もし、学校に行っても、以下のようなことが上手く機能しなくなれば、自分の「居場所」を見つけることができなくなっていくかも知れない。

 

「仲良しの友だちがいる、話せる友がいる、入れるグル-ㇷ゚がある」それだけで安心がある。

「役割がある、責任がある、当てにされている、(私の)代わりはいない」それだけで行かねばならないと思う。

「活躍する場面がある、注目される時がある、発表する機会がある、褒められることが多い」そうすれば、学校に行く甲斐がある(行き甲斐)。

 

不登校生にとって、学校での居場所はとても重要である。教室に居場所が作れなければ、保健室や別室でも構わない。身を置く場所を確保して欲しい。ただ、空間があれば良いのではない。そこに人を配置して欲しい。その人は、先生でなくても構わない。学生や教師OB,地域のボランティアの方でも良い。こどもの話し相手、相談相手、勉強の補助をしていただければ更に望ましい。学校の先生は、その部屋の常駐でなくても良いが、明確な担当者は配置して欲しい。学校と不登校生徒のパイプ役になれる役割として。

その部屋の使用ルールは、他者に迷惑をかけないということを第1として、時間設定や部屋での過ごし方については、自主性を担保して欲しい。例え、遊びのような過ごし方になっていても。しかし、過ごし方の内容については、生徒・保護者が、定期的、個人的に、担当の先生とのミ-ティングの機会を設けるのが良いこともあるだろう。

 

【何ができるのか、何がしたいのかを明確にしよう!】

学校に、教室以外の居場所を設けて頂いても、どうしても足が向かないというケースも多い。学校を忌避する力が働いているのであろう。

その場合は、学校に行くことを目的としない方が良い。目的が受け入れられないと、それに向かう手立てもまた受け入れ難くなるからである。そんな時は、手立ては変えなくても、目的を変えれば良い。「学校」を教育センターや塾、フリースクールや支援機関や民間機関に置き換えても良いかも知れない。目的が変われば、手立ては有効に使えることもある。

 

では、どのような手立てを行えば良いのか。

最初、目的とする施設で何ができるのかを知ることから始めよう。

基礎学習を進める、キャンプなどの自然体験を行う、ゲームや活動などを通しての集団生活の体験、工作、調理、手芸、完全自由な時間、話し合い、運動、スポーツ、合唱、将棋、トランプ、等々。

 

次に、自分がやりたいことを選択する。

 やってみたいことを具体的に選択する。順序をつけて複数個選んでおくと良い。

 

そして、準備を始める。

いつ頃やるのか。誰とやるのか。

準備するものは何か。①持ち物  ②服装  ③調べもの  ④購入するもの

⑤気持ちの整理 等々

 

その次には、スケジュールを立てる。

開始時期を決める。そこから逆算をして、準備期間、選択期間、調べる機関を算定して、

目的へのスタ-ト日を設定する。

 

スタート

スタートの日が来たら、行動を開始する。記録を取ろう。

 

【多様な選択肢】

 

不登校生の状況は様々だ。週に1日以上は休んでいるが、登校できる日は普通に教室で過ごしている児童生徒。遅刻や早退をしながらも週に1~2日程は登校して、教室で普通に過ごせる児童生徒もいる。好きな時だけ来ていて、我がままだと思われているケースも多い。テストや大きな行事には参加するが、普段は姿を見ない児童生徒。別室登校で、学級の友だちとの交流は稀である児童生徒。登校機会は少なく、担任教師や一部の友だちとは、家を中心に出会う事のある児童生徒。外部の機関に通所や訪問はしているが、学校関係者とは会えない児童生徒。家には居て家族とは話せるが、担任とは訪問しても会えない児童生徒。自室に閉じこもり、家族との接触時間も少なくなっている児童生徒。家族も不在が多く、本人の居所の確認も難しい児童生徒など。

様々な状況にある不登校生には、それぞれに応じた多様な選択肢を準備しなければならないのではないか。保護者への支援から始めなければならないケースも多くある。児童生徒へのアプローチも、せめて声を聞き出すことから始めなければならないこともある。会えること、話ができる事、そこまでが厳しい状況の児童生徒も必ず居る。

学校の話までつなげることが難しいなら、サポート機関や民間機関へのアプローチでも構わない。多様な選択肢を子どもたちに提示し、関わっていかねばならない。

 

【傷付きを癒す】

不登校に至った原因も様々であろう。ただ、共通していることがあるとすればそれは、「心に深く傷を負っている」ということではないか。

その傷を負った時の痛みや辛さ、苦しさ、悲しさ、寂しさを忘れることができなく、心の奥底に残っているのである。

登校することや友だちと会うこと、教室に入ることが、その傷に再び触れることになるのではないかと恐れている。それは、傷口を悪化させ、更に窮地に陥ることを意味している。二の足を踏む気持ちは、十分に理解できる。

 

傷が癒されることが先決である。触れても痛みを感じ無いまで癒されていれば、怖くはない。

では、どうすれば彼ら彼女たちの傷を癒すことができるのか。

 

傷つく場面は、暴言や暴行なら分かりやすい。しかし、いじめは、遊びのように行われたり、優しさといじめが交錯して繰り返されたり、外見は同じグループの仲間として過ごしていたり、対等な関係を装うために加害と被害が入れ替わっている場合もある。勿論程度の差は歴然なのだが。つまり、傷つけられた側にも明確な起点が分からなく、訴えをするにも傷ついた状況が曖昧なままということも多い。その為、気がつけば大きな傷口が残っているのに、何も言えなくなっている。そして、一人で抱え込んで悩んでしまう。

不登校の原因を探ろうとすると、本人自身が理由付けができないことが多い。しかし、今苦しく、辛く、寂しいことは間違いない。

周りの大人や先生、仲間が出来ることは、「今のその気持(苦しみ・辛さ・寂しさ)に共感すること」だと考える。

苦しさの要因の一つは、一人で悩み、その気持ちを分かち合える他者がいないことである。「居場所」が無くて一人ぼっちであっても、「大丈夫?」と声をかけてくれる友が一人でもいれば救われるに違いない。辛さを聞き出さなくても良い。「側にいて良い?」と声をかけて、寄り添ってあげることだ。

それをも拒否することが在るかも知れない。他者の優しさを受けとめられないほどに疲弊しているのかも知れない。その時は、離れてあげれば良い。「何かあれば、いつでも声をかけてね」と伝えて頂ければ有難い。そしてまた、時間を開けて、声をかけてあげて欲しい。

 

不登校の要因で、よく取り上げられるのはコミュニケーションの問題だ。先の、暴言もその一つだが、むしろ対面ではないSNSや陰口の類が多くある。対面の場合は、誤解を招く表現も、その場の雰囲気や表情から真意を読み取ったり、聞き返すことによって確かめることが可能である。

文字だけで、短文で送られてくる情報では、間違った解釈で理解することも多い。ハートマークの多用で、好意と受け止めるのは中高年だけだろうか。長い文面に対して、一行で返信しただけで、絶交したケースもある。炎上なども、言葉の解釈のズレから起こることもある。

過日、ネット社会の陥穽に陥って、ひきこもり状態にある若者の特集番組をテレビで放映していた。ひきこもっている人たちにチャットで呼びかけて、返信を待つと言う取り組みだ。普段、そのような会話をしない私には、即応のやり取りを見て、すごいと思うと同時に、違和感を感じた。ネットの世界で壊れて社会と断絶をしている人へ、ネットを通して働きかけることへの違和感だ。テレビ側からの問いかけに、少し間を開けて答える彼ら。彼らを再び傷つけまいと、言葉を選び選び、慎重に送るテレビ側。スカイプの様に、互いの映像を送っているので、文字情報だけでないのが救いだ。

やはり私は、互いに体温を感じる同一の空間で、人と人との接触をしながらのコミュニケーションこそが、大切ではないかと考える。その時に対応する人は、相手を受け入れ、コミュニケーションについて率直に感じることを伝えることを目指さなければならない。

コミュニケーションの在り方を考えることで、自身と相手の関係を見直すことができる。同時に、自分自身を知り、自信を持ち、自分を大切にすることが可能となり、癒されることになっていく。

不登校生と直接に関わっていただいている方々に、時間を要することも承知の上で、大きな期待を寄せているのは、「互いに体温を感じる同一の空間で、人と人との接触を」して頂いているからだ。その関係の重要性を見直し、もっともっと強化していくことが、不登校生支援の道筋であると考えている。

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