”居場所”を考える

投稿日:2015年6月7日

会議に出席してみると、席が全部埋まり自分の座る場所がありません。どんな気持ちになるか想像してください。きっと、戸惑い、気恥ずかしさ、疎外感、やがて怒りの感情が湧いてくるかも知れません。
別の場面を想像しましょう。開催時間ギリギリに会議の部屋に飛び込みました。幸い目の前に空席がありました。ホッとして席について、落ち着いて周りを見ると、隣席からは机上に名札が置かれている指定席。自分の前には、名札は無いので座っても良い席のようだ。しかし、そこは会議の上席にある空き席だった。それに気づいた瞬間から、居心地が悪く、会議の内容どころではなくなった。

人間にとって、“居場所”がとても重要であることが、この事例をもって分かります。居場所のない状況は、孤独感、疎外感、不安感に苛(さいな)まれ、やがてそのような状況に追い込まれた怒りが抑えきれなくなることを窺わせます。
“居場所”が、自分にそぐわないところと感じ入ると、落ち着きを失い、できればその状況から脱したいとも考えます。それが叶わないと分かって、我慢しなければならないと理解しても、気持ちの動揺は収まりません。ただひたすらその状況から解放されることを願うばかりです。

子どもにとって、家庭や学校、部活動、友達集団のなかに居場所が見出せないとしたら、どれほで、辛く寂しいことなのかを、大人は察知しなければなりません。居場所があるなら、不良グループの中に居ることさえ、彼らは厭わないでしょう。
学校で起きる問題行動の火種は、子どもの居場所問題だと考えても間違いではありません。保護者と教員、仲間、家族そして地域社会の人々の関わりによって、子どもの安心の居場所確保に私たちが努めることが、今急務の課題ではないでしょうか。

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