教育のアイロニ- 5つの話題

投稿日:2014年12月3日

一つ目 公教育の改革案を進める有識者の多くは、私立の一環校の出身者

公教育の改革案が各所で論議されている。そこには、多くの有識者が参加しているが、彼らの多くは公教育の経験のない私立一環校の出身者である。その子弟も同様で、改革すべき公教育の実態を知らないという事実がある。
有識者会議には、現場から現職教員が選ばれて実態を報告し、それが唯一の生情報である場合が多い。そこで、いじめの実態が明らかになったり、指導力不足の教員の実態があかされたり、放任家庭に育てられたこどもの食生活の貧しさが伝えられる。報告された内容が、全ての現場の状況とは言えないが、現場を知らない識者には大きなインパクトを与える。
結果、いじめ防止対策案、免許法の改正案、食育の推進等の改革案が次々に作られて行く。

二つ目 知識詰め込み教育の脱却と学力低下

教師になった頃、知識詰め込み教育の最盛期であった。今では、高校の教科書に載っているような内容が中学校で教えられていた。やがて、知識偏重や過重な受験戦争が批判の対象となった。
平成10年には、大きな反省のもと、ゆとり教育が一斉を風靡した。学習内容の3割削減と同時に、中高では選択教科の時間数が急増した。苦手で、根気の要る学習が、自ずと排除される形となった。
しかし、時を同じくした頃に公表されたOECDの学力テスト等の成績において、日本の生徒の学力低下が明らかになると、ゆとり教育は5年後に早くも改正される方向に向かった。ゆとり教育は、公教育の信頼を失墜させ、学習塾の盛隆を生み出す結果となった。

三つ目 経済格差と教育格差

江戸時代後期の私塾や寺子屋は、下級武士や庶民の子弟の教育の場であった。明治に入り「ムラに不学の子なく」の理念は、教育立国を目指す日本の決意でもあった。教育が、社会格差・経済格差を是正する働きを期待されたものでる。
翻って現代社会はどうであろうか。東大生の多くが、富裕な家庭の子弟であることは、データとして明らかになっている。恵まれた学習環境に育ち、私学の一環教育に学び、家庭教師や進学塾、最新教育機器等を活用できる立場に近いこどもが、高学歴を享有するのは自然の成り行きである。しかし、経済格差が更に大きな教育格差を生み出していることは間違いない。

四つ目 個性尊重と「小さな皇帝」

個性の尊重が詠われ始めたのは何時ごろからであろうか?ゆとり教育と期を一にしているように記憶するが。
中学校で、選択教科の時間を大幅に増大させ、好きなこと得意なことを伸ばすことにより学習意欲や自己肯定感を育てることは間違いではない。しかし、限られた学習時間内では、その分、苦手なこと根気の要る事に時間が割かれなくなることも間違いない。
このような育て方が、中学生のみならず、幼児や児童の頃から続けられると、好き嫌いのはっきりとしたこどもが育ってくることは十分に予想できる。
一人っ子政策で有名な中国では、近年「小さな皇帝」と呼ばれる、我侭で強い自己肯定感に覆われた小皇帝のようなこどもの存在が問題になっているという。なぜか、日本にも同じような現象がおきているのではないだろうか。

五つ目 過保護と耐性の低下

近年の異常気候は、日本の四季を奪い、酷暑の夏と厳寒の冬の二季の国のようになっている。そのため、小中学校の教室に、エアコンを整備する自治体も増えている。
勿論、家庭や公共施設、地下道や交通機関にも空調は完備している。私たちは、異常気象の到来にも拘わらず、日常生活では可なり快適な生活を過ごすことができている。
人間の身体は、環境に適応するように作られている。現在の子どもたちは、赤ちゃんの頃から、より快適な環境で成長できるよう細やかに配慮されている。そのため、過保護な環境に育てられた子どもたちには、身体の耐性が十分に育ってきていないように思える。このことは、温室に育てられた植物が、もし電源が切られると忽ちに枯れてしまうことに似ている。
身体なら、冷静にこのような環境を見極め、日ごろから鍛えておくことも可能である。今、本気で憂慮しなくてはならないのは、子どもたちの心の耐性の脆弱性である。苦手なこと、辛いこと、根気を要すること等を意識的に避けている今の子どもたちに欠けている心の耐性には、急遽の対策が要される。

 

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