他者から傷つけられることへの防御反応

投稿日:2025年8月31日

スクールカウンセラーを勤めて、11年目となりました。

この11年の間、コロナ禍での学校休業、マスク生活、接触制限などによって、子どもたちのコミュニケーション力にも大きな変化が見られたように思います。また、コロナを機に急速に進展した学校現場のIT化は、リモート授業やタブレット端末の導入などによって、授業形態や学習過程も大きく変わりました。

先日、小学校1年生の授業で、夏休みのあさがお栽培の宿題について、成長過程をタブレットで写真にとって、それを担任の先生のPCに送付する手順について、指導されていました。夏休み中に、3回程データを送信するという宿題の説明です。

写真を写すまでは、どの子もスムーズに行いますが、そのデータを送信する手順が難しいです。どうしてよいか分からない子どもがSCの私に助けを求めてきますが、タブレットの操作も不慣れな私には、送信方法まで理解できていません。首を横に振ると、他の先生に助けてもらいながらも次第に、操作できる子が増えて、友達に教えたりもしています。

タブレット操作などに堪能な子どもたちは、映像を取り込んだり、プレゼン資料の作成等はとても上手です。ただ、グループでの話し合いや、言葉で全体に説明すること等は、苦手意識があるかも知れません。対面でのコミュニケーション力の低下です。

 

少子化やコロナ禍による制限された人間関係の中での成長過程で、特に子供同士のふれあいに伴う、時にはけんかや自己主張のぶつかりあい、譲り合い、譲歩、我慢、敗北、そして傷つき等の機会が減少しているのではないでしょうか。それ故、他者との触れ合いの中で、自身の傷つきを恐れ、他者を避けるという傾向が増えている様に思います。

最近は、若い人だけではなく年配者の間でも、知人宅への突然の訪問は避けられ、電話すらラインで事前のアポイントメントを取るというケースが増えています。子どもの遊びの約束も、事前にアポイントメントを取っています。このように他者への配慮意識が強くなっています。それは、他者を配慮する意識が高まったということなんでしょうか?

 

礼儀正しく、他者尊重の様には見えますが、実際は、「突然に訪問や電話をする非礼で無神経な人」という感情を相手に持たせないという思いがあるのではないのでしょうか。

K・Y という言葉も一時流行しました。全体の雰囲気や集団の思惑を気にしない人のことです。K・Yの人が責められるのは、日本社会に古くから存在する同調圧力も影響しているかも知れません。人は、周囲から違和感を持たれることに強い警戒感が働きます。

他者が気になるのは、他者への配慮以上に、自己への防衛であり、自身が他者から傷つけられることへの防御反応と言えます。

 

一方、SNSの普及に伴い、SNSを通した他者への、誹謗中傷が社会問題となっています。

SNSの匿名性に乗じて、対面では言えないような厳しい、辛辣な、非道な言葉が浴びせられます。これは、発信者が特定され難い安全地帯に居て、発信者自身は傷つくことが無いという状況にあります。

自身が安全であると理解した時、これまで抑制していた行動に歯止めが掛からず、次第にエスカレートしていきます。そして、抑制していた感情や行動の背景には、自身の将来不安、現状への不満、過去への後悔や反省等の様々な感情や思考、思い込み、信念等も交差して、自身の力では制御不能の状態となっているのではないでしょうか。

 

SNSで暴言を書き込む人の数は、それほど多くはないかも知れません。しかし、その暴言を目にして、共感して、拡散する人は増えています。

近年の都知事選や国政選挙に於いて、特定候補やONEイッシュの政党に、投票がなだれ込んだ現象の背景には、現代社会に生きる人々の感情に潜む危うさを覚えてなりません。

かって、江戸時代に起こったおかげ参りや、ドイツのヒットラーへの狂信を彷彿とさせます。また、最近のアメリカやロシアの大国主義、イタリアやハンガリーでの極右政権の台頭は、偏狭なナショナリズムが、先の世界大戦の反省から築いてきた世界平和や人権尊重の地道な努力を無にする様な恐怖があります。

 

世界規模で起きている、人々の制御不能な思考や行動が、こどもたちに影響を与えない訳がありません。不登校の急増、いじめの深刻化、社会からの自己防衛、その先の孤立化、

他者への配慮より優先される自己第1主義の様相は、その責任を子どもだけに担わせるだけでよいのでしょうか。彼らの背景にある、現代社会のひずみからの影響であると考えなければなりません。

 

日々のカウンセラーの仕事に於いては、相談者自身が自覚していない、自身の本音の部分の願いや希望、または辛さや悩みが、カウンセリングを通して、自分の言葉で語られることを目指しています。勿論簡単な事ではありません。日常の様子を聞きながら、カウンセラーへの安心と信頼が築かれることがスタートです。

人は、本来自身の成長や幸せを願っています。しかし、幸せを願っても達成できなかった時の辛さを恐れて、チャレンジをしようとしません。成長を目指しても、その過程の険しさを知って、目標の設定すらしません。本音を封印してしまっているのです。

 

自身の気持ちを、他者と分かち合えない苦しさは、やがて他者との関りを避け、孤立化していきます。一人の寂しさは有っても、理解できない、或いは理解されない苦痛からは解放されます。やがて、孤立化にも慣れてくると、誰にも邪魔されない時間と空間が唯一の居場所と成って行きます。

2022年度のひきこもり者は全国で146万人(推定)【内閣府調査】、不登校生は全国で34万人超(2023年度 文科省調査)との報告あります。

それぞれの事情や、ひきこもりや不登校の理由は違います。それ故、その対策も簡単ではありません。しかし、この状況を、現代社会の緊急事態として、全面で対処しなければならないということを皆様と広く共有したいと思います。

 

 

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