3度目となる緊急事態宣言が発令

投稿日:2021年4月29日

今回、3度目となる緊急事態宣言が発令されました。しかし、マスコミの反応も世間の反応にも緊張感の緩みが感じられて、残念です。

そもそも、緊急事態宣言或いは、非常事態宣言は、戦争時や大規模災害時に発令されてきました。記憶に残るのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの折でした。その時に、大統領から発せられた緊急事態宣言ではテロの更なる拡大を防ぐために、軍に対して通信傍受などの権限を無条件で付与する決定をしましたプライバシー権が完全に侵害される決定でしたが、国民の90%以上が支持したと言われています。

 

コロナは、戦争ではありませんが、2021年4月28日現在で、世界の死者数は300万人を超え、その数は第1次世界大戦時の同盟国側(独、オーストリア、トルコ等)の死者総数に匹敵しています。

今この時の日本の緊急事態宣言に対して、なぜ、国民に緊張感が乏しいのでしょうか?私は、その要因にマスコミ(主にテレビ、ラジオ)の、無責任な報道にあると思っています。

 

ひどいのは、各局が看板としている、「ニュースのワイドショー」です。緊急事態宣言で発せられる、飲食店や大型施設への時短要請、各種イベントの開催抑制等の個々の施策のみならず、緊急事態宣言の発出時期やその正否までも、専門家でもないタレントや芸能人、自称専門家・知識人などが、自説を滔々と述べている姿は、異常です。

 

何故、それがいけないのでしょうか?

日本は、言論の自由が保障されているのではないですか?

多くの立場や、意見を広く紹介するのが、マスコミの使命ではないですか?

このように思われる方もあるでしょう。

 

NHKのあさイチで、よくクイズが出されています。

料理の一工夫や、そうじの隠し技など、4択問題に挑戦しています。身近で、体験もしている簡単なテーマだけど、全問正解等はめったに見られません。最も相応しい回答というのは、なかなか当たらないものだと、実感します。回答者は、自分が選択した回答理由を、あたかも十分承知している自信たっぷりの説明をします。

説明を聞いていると、納得させられて、それが正答だと思い込んでしまいます。もし、クイズの最後に正答を流さなければ、回答者の自説の説明に納得した回答を正答と思って、インプットしてしまいます。

しかし、番組では、最後に正答が紹介されます。間違った説明や、納得させられた説明も、正答の前で、リセットされて、頭には、正しい知識が蓄積されていきます。

間違った説明に心を揺さぶられたが故に、正しい答えが分かると、間違いをリセットして、却って正しい答えが、鮮明に記憶されることになるでしょう。

 

今、ワイドショーで、コロナ対策を論じている時、そこでは、誰にも正答が分からない故に、間違いのリセットに必要な「正答」が、流されないのです。コメンテータが、自論を展開すればするほど、それは、ある人には無視され、ある人には馬鹿にされているかも知れません。しかしある人には共感され、支持され、それが日本中に拡散していくのです。最後に、正答が出ないので、どんなに間違った珍説であっても、リセットされることがないのです。それが、ある特定の人には強く支持され、その特定の人物は、その珍説を自身の中で増幅させ、考えを強化し、そして信念にまでなってしまうのです。

時短要請を無視したり、密集して大騒ぎする人々には、いつのまにか、間違った強い信念が作られていったのかも知れません。

そういった悪影響をもたらす放送が、コロナに関してだけでも、1年以上もの期間、多くの局で、連日に流し続けた結果は、想像以上に悲惨な状況を生み出しているのではないでしょうか。

 

では、どうすればよいのでしょうか?

 難しくは、ありません。発言の責任を問うことです

今は、正誤は誰にもわかりません。だから、結果間違っていたということはあるでしょう。その責任を問うているのではありません。自身の発言が、もし間違っていたら、社会にどのような影響をもたらすかの思慮とその責任の自覚を持っての発言かどうかを問うています。

そして、放送局は、出演者の発言がトータルとしてどのような影響をもたらすのかの検証に強い責任をもって、報道に当たって欲しいと、強く要請したいと思います。

 

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