いのちの選別が始まっている

投稿日:2021年5月16日

 感染しても自宅待機となり、重症化して救急車を呼んでも、受け入れてもらえる病院が見つからず、自宅で亡くなるケースが報道されています。

尊厳なる命が、治療も受けられずに失われていく状況は、見捨てられ選別されている状況に他なりません。

 

昨年の1波2波が収まり、夏を境に感染状況が一気に下降線になった頃、秋ごろからウィルスの再発することを多くの識者が予想していたにも拘らず、人々の意識は緩み第3波が始まりました。その後、変異ウィルスが猛威を振るい、現在の4波が収まりません。

 

第3回目の緊急事態宣言が、効果がなく更なる延長、拡大となって、政府の対策への批判も大きくなっています。

私は、いのちの選別が始まっている現在の状況では、何よりも国民の命を守る政策が最優先されなければならないと思います。命と経済を天秤にかけている状況ではありません。経済がストップしたとしても、いつかは負債を返済するチャンスはあります。しかし、命を失ってしまえば、取り返しができません。

 

昨年の2波が収まった頃、いずれ到来する3波4波に備えてやっておくべきことがあったのではないでしょうか。その頃、国会で時間を割いていたのは、日本学術会議の任命問題でした。昨年の10月17日の室長ブログで、多数の正会員、連携会員を擁する日本学術会議が、この日本の最大級の国難に対して、数回の提言・談話はいかがなものでしょうか。」

と、書かせて頂きましたが、その後今日に至るまで、学術会議からの国民への、提言はあったかどうかは承知していません。少なくとも、コロナを差し置いて論議しなければならなかった問題だったのでしょうか。

 

その頃、現在も混乱しているワクチン接種の行程シュミレーションや、逼迫する医療体制へのハードやソフトの充実、或いは潜在看護師や介護士、医師、保健師などの人材発掘、感染予防の装置やグッズの開発、まだまだ人智を集めて準備すべきことに、政府や行政機関だけではなく、国会や地方議会の総力を挙げて取り組む時であったのではないでしょうか。

そして、それは今もまた同じです。

 

オリンピックの開催の賛否を、政争の具として論じるのではなく、国民の命を守ることを第1義にして、どうできるのか、或いは中止するのか、を語るべきです。緊急事態宣言の時期の早い遅いを批評するのではなく、感染を減らすために緊急事態宣言を最大に効果を上げるために何をするのかを提言すべきです。

 

私は、行政からの要請を無視して、夜遅くに酒類の提供をする飲食店や営業を続ける店には、「強制力を発揮して、やめさせるべきだ」といった意見を述べる政治家があらわれても良いと思います。しかし、残念ながら、自らの議員生命をかけた発言は皆無です。世論を忖度しながら、決して自らは傷を被らない距離からの具体策を欠いた理想論の展開です。

 公職選挙法で失職した国会議員などは論外ですが、高い歳費を得ながら国民のために何の知恵も出せない議員もこの機会に一掃して、その分を医療従事者、エッセンシャルワーカー、高齢者介護職員等の支援に費やして欲しいと心から願います。

 

話が飛躍しましたが、この国難に自らの命を賭してまで貢献頂いている方々に、光が当てられ、支援が届くような社会のしくみを整えなければ、未知のウィルスとの共存或いは闘いに勝利できないと思うからです

この記事へのコメント(0

まだ書き込みはありません

コメントを残す