1年生の廊下で、児童が怒られている。先程迄、頑張って拭き掃除をしていた
男の子だ。チャイムが鳴って掃除が終わると、バケツに向かって汚れた雑巾を
投げたところを先生に見つかったのだ。
私が通りかかった時は、一生懸命拭き掃除をしていたので、褒めたばっかりの
所だ。ちょっぴり可哀そうになったが仕方がない。
最近の学校では、先生の怒り声もめっきり少なくなった。私が現職の頃は、先生
の怒鳴り声が、階下の職員室迄響いていることも日常だった。
怒られた児童は面白くなかったであろう。チャイムが鳴ってホッとして、少し遊び
心で投げたのかも知れない。しかし、「人に当たったらどうするの?」という先生
の指導ももっともダ。
怒られた児童は、折角良いことをしても、後始末が悪ければ台無しだという事を、
学んだかも知れない。私も良くある。台所の洗い物をして、その後、床が水浸しだ
と文句を言われる。理不尽だと感じながらも、黙って床を拭く。
怒られることは楽しいことではない。しかし、その事によって、気付いたり、失敗を
繰り返さない歯止めとはなる。最近は、学校でも怒られることが少なくなったのは、
良いことなんだろうか?子どもの気持ちも害さないし、保護者からのクレームも避
けれるかも知れない。しかし、そのことで身に付けられなくなった、作法や道徳、そ
れが身につられない事で失った信用や信頼があるのではないか。
その意味で学校は、子どもにとって大事な学び舎だ。学校から、怒られることを減
らすことが必ずしも良いことだと思わない。「感受性の高い子どもも存在する」との
批判もあるかも知れない。だからこそ、怒られて免疫をつけておかなくてはならな
いのではないか。
学校で、喜怒哀楽の葛藤場面が減るほど、将来の大人は、平板で柔和で、繊細で、
そして、浅薄で脆弱な心の持ち主の存在となってしまうのではないか。
栄養価はあるが、食べやすく柔和に調理された食物で、スリムな顎をもった未来
人のように、心まで、柔和でスリムな存在の未来に生きる人間は、氷河期で生
き延びたマンモス(巨大化した身体)が、温暖化によっていち早く絶滅したように、
巨大化した頭脳だけの、危機には最も弱い生物とならないだろうか?心配だ。
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